Compulsory Science No.81




「日本住血吸虫症をめぐる戦い−宮入慶之助− Schistosomiasis japonica,  Dr.Keinosuke Miyairi」
 


  _Schistosomiais is very dangerous for people. Nowadays, two hundred million people suffer from this infection disease in 70 countries. Dr. Keinosuke Miyairi discovered for the first time in 1913 the snail intermediate host for transmission of Schistosomiasis japonica infection.

_この話題は、村上洋さんの紹介によるものです。
_「日本住血吸虫症」をご存知でしょうか。これは、昔から風土病として知られていた怖い感染症です。日本住血吸虫(扁形動物、大きさ1-3 cm)は、人間や各種ほ乳類の血管内に寄生し、成虫は門脈内に寄生し、肝硬変や腹水などの症状をおこし、死に至らせるのです。山梨県甲府盆地、広島県片山地方、福岡県筑後川流域、千葉県利根川流域に流行していました。
_江戸時代の 1847年の広島県の医師藤井好直が「片山記」で初めてこの病気を記録しています。しかし、長い間、この病気の原因は分かりませんでした。当然、寄生虫も疑われたのですが、寄生虫が見つからなかったのです。その理由は、多くの寄生虫が消化管の中に寄生するのに対して、この住血吸虫は、血液中に寄生していたからでした。
_明治時代になり、ついに病気の原因の一部が突き止められました。甲府市に開業していた医師三神三郎は、「日本住血吸虫症」は、肝臓に寄生する寄生虫が原因であることを予測しました。1900年(明治33年)です。その後、三神医師のもとを訪れた桂田富士郎博士と協力し、三神医院の飼い猫「姫」の門脈から寄生虫を発見し、「日本住血吸虫症」と名づけました。1904年(明治37年)のことです。この4日後には、藤波鑑博士が広島県で人体から「日本住血吸虫」を発見し、病気の原因を突き止めたのです。
_それから、「日本住血吸虫」は、糞便を介して、卵が水中に放出され、人が水中に入ったときに卵から成長した第一次幼虫(ミランジウム)が、次の段階の第二次幼虫(セルカリア)となり、これが皮膚を通して感染し、体内で成虫になることが分かりました。しかし、ミランジウムからセルカリアまでどのようにして成長するのかが分かりませんでした。「日本住血吸虫」の生活環が分からなければ十分に感染を予防することができません。この時点で言えることは、感染を防ぐには、川や田で排便をしないこと、水に入るときは、長靴やゴム手袋をすることということですが、この時代にはとても難しい要求です。なにしろ日本は、伝統的に糞便を肥料としていたのですから。
_やっと、1914年(大正3年)になり、九州大学の宮入慶之助博士と鈴木稔博士は、佐賀県の鳥栖駅(筑後川流域)の裏で巻貝を発見しました。この巻貝の中で「日本住血吸虫」のミランジウムからセルカリアまで育つことが分かりました。これを中間宿主と言います。やっと生活環を突き止めることができたのです。この巻貝は、「ミヤイリガイ」と名づけられました。この発見により「ミヤイリガイ」を除去し、「日本住血吸虫症」を防ぐことができるようになりました。アジア諸国は、この発見を受けて、それぞれの国の「住血吸虫症」の中間宿主となる貝を探すようになりました。日本では、1980年(昭和55年)を最後に「日本住血吸虫患者」はいなくなりました。また、「ミヤイリガイ」は、1983年(昭和58年)以来発見されていません。
_現在でも住血吸虫症には、約70か国で2億人の人が苦しめられています。



【参考文献】
「寄生虫館物語」亀谷了、文春文庫、2001年

「寄生虫との百年戦争」林正高、毎日新聞社、2000年

「まぐまぐ(電子書店)」http://www.mag2.comに掲載
読者数 1500





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