Compulsory Science No.79




「壊血病とビタミンC Scurvy and Vitamin C」
 


  _ 壊血病とは、ビタミンCの不足によっておこる病気です。ビタミンCは、コラーゲンをつくるのに大きな役割を果たしています。コラーゲンは、細胞と細胞の間にある線維で、組織を支えているほか、毛細血管、骨、歯の象牙(ぞうげ)質、軟骨のセメント質などをつくっています。化粧品の宣伝でもよく出ていますね。コラーゲンがつくられなくなると、まず毛根の周りがかたくなり出血し、やがて手足に皮下出血がおこるようになります。むくんで痛みを感じるようになるのです。歯ぐきや関節も出血して、腫(は)れと痛みをともなうようになります。脱力感や倦怠感を生じ、出血がつづくと、貧血をおこします。ひどい場合は歯がぬけおち、高熱がでてやがて死にいたる怖い病気です。

_ しかし、壊血病の原因がビタミンCの不足であることは、長い間分かりませんでした。1497年に喜望峰を回る航海をしたバスコ・ダ・ガマは、壊血病で100人を失いました。1612年に出版された「外科医必携」では、壊血病の治療法として、柑橘類を薦めていました。これは、よかったのですが、なぜか果物ではなく果汁の「酸性」が効果があったと思われたのです。そのため、これから100年以上も同じ酸である硫酸が壊血病の治療薬となったのです。もちろん、当時は、果汁は保存できなかったことも原因の一つだったのでしょう。

_ 1747年には、ジェームズ・リンドが、壊血病の原因を探るべく実験を行いました。壊血病になった船の乗員を6つに分け、それぞれにシードル、硫酸、酢、海水、にんにくなどを含んだ薬、柑橘類を与えて試しました。柑橘類だけを与えたグループだけが壊血病が治りました。リンドは、このことを「壊血病論」として1753年に発表しましたが、あまり広まりませんでした。その結果、英仏の7年戦争では、イギリス海軍の10万人が壊血病で死んだとされています。  1854-56年のクリミア戦争でも、ナイチンゲールは、イギリス陸軍は、戦争の傷よりも壊血病のため死んだ兵士が多いことを指摘しています。

_ 1849年アメリカでも壊血病が多発しました。ゴールドラッシュです。人々は、小麦粉、ビスケット、塩漬け豚肉、牛肉をもって、金を求めて掘り続けました。壊血病で1万人が死んだとされています。

_このように、壊血病の原因は、長い間分かりませんでした。原因とされたのは、腐ったバター、銅の鍋、ラム酒、砂糖、タバコ、湿気、冷気、海上の空気、遺伝、モラルの低さ、果物欠乏、感染、運動不足、などでした。

_ 壊血病の科学的証拠が判明したのは、1907年のことです。アクセル・ホルストとテオドルフリードリッヒは、モルモットを使って脚気をおこす研究をしていましたが、一部は、壊血病をおこして死んだことに気づいたのです。ビタミンCが原因だと分からなかった理由の一つは、ヒト、モルモット、魚、甲虫以外の生物は、ビタミンCを合成できることです。動物実験を行っても簡単には、突き止められなかったのです。

【参考文献】

「化学物質」恵みと誤解」John Emslely/渡辺正、丸善、2005


「まぐまぐ(電子書店)」http://www.mag2.comに掲載
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