Compulsory Science No.72




「思い込みの科学 Science illusion」
 


   人は物語がとても好きである。思考過程がそのようになっているのだろう。理科授業も同じであり、起承転結の構成をとるべきであると従来から言われている。なかでも、転の部分が大切である。物語では、転の部分で読者の心を揺さぶり、感動を誘う。理科の場合も同様であり、起(導入)で題材を提示し、承(展開)で話が進み、転(実験観察)で始めと異なった結果を見て驚き、結(結論)で納得する、という展開になれば理想的であろう。この場合、転が大切であるが、あまりに日常とかけ離れたものでは、心を揺さぶることはできないだろう。当たり前と思っていたことが、実は、自分の思い込みであったことが分かったとき、驚きとなり、心を揺さぶるのではないだろうか。このような題材を幾つか提案したい。

提案例1「レンコンは、蓮根と書くから、根っこだ。」
 ハスの花は、綺麗ですよね。その綺麗な花をたどっていくと、土の中の蓮根にたどりつきます。花が咲いているときは、膨らんでいませんが、花がおわると膨らんできて蓮根となります。多くの根は、土の中にあります。だから、蓮根も根でしょうか。
 ジャガイモ、サツマイモは、どうでしょうか。どちらも土の中でイモを作ります。これらも根でしょうか。じゃあ、フキは、どうでしょうか。ネギは、どうでしょうか。近くの人の意見も聞いてみましょう。

解答
 茎というのは、「維管束植物において、胞子体を構成する主要栄養器官の一つであり、一般に極性のある軸状構造を示し、側生的に葉・芽・生殖器官をつけて、根と共に高等植物の体制の基礎となる。」と定義されています。だから、茎からは芽が出てきます。
 蓮根は、地中にできますが、節のところから地上に葉柄と花柄が伸びて葉と花をつけます。
 ジャガイモも地中にできますが、らせん状に芽を出します。だからこれも茎です。
 フキの食べる部分は、地上に出て棒のように見えますが、ここからは、芽が出てくることはありません。だから、これは茎ではありません。葉柄といって葉の一部なのです。ネギは、葉が丸まったものです。
 根、茎、葉を区別するのは、容易ではありません。

提案例2「地平線の月は大きくて、天頂の月は小さい。」
 夕方、東の空から満月が上がってくるのを見ると、いつでも心があらわれるような気がします。特に、奈良で見る月は格別です。万葉の昔を思い出せるようなとても大きくて綺麗な月です。お盆のような大きさにも見えます。それに対して、天頂の月は、とても小さく見えます。同じ月とは思えないくらいです。東から上がって、南に行くときに月はだんだん小さくなっているのでしょうか。それとも、地球から遠ざかっているのでしょうか。


解答
 写真に撮ってみると、同じ大きさだということが分かります。
 地平線、水平線上の月が大きく見えるのは、錯覚なのです。4000年も前のアリストテレスの時代から、地上近くの月が大きく見えることが知られていました。しかし、その明確な理由はまだよく分かっていません。一つの仮説としては、地上近くの月は、地上の建物などとの比較ができるから大きく見えて、天頂の月は、比較するものがないから小さく見えるというものがあります。もう一つの仮説は、人間は水平には動けるけど、垂直には自分の力では動けないので、水平のものに対しては親近感があるけど、垂直のものには親近感がないので、小さく感じるというものです。いずれにしろ、まだ決めてはないそうです。
 素晴らしい景色を見て感動して、写真に撮っても、写真を見ると、その感動が伝わらないことがあります。人間は見たいものを選択して見ることができるから、こうなるのかもしれません。

【参考文献】
(1)「生物学辞典」八杉龍一ら;岩波書店,1996年
(2)「錯覚の心理学」椎名健;講談社新書,1995年
(3)「ほんとの植物観察」室井綽・清水美重子著;地人書院,1984年
 

「まぐまぐ(電子書店)」http://www.mag2.comに掲載
読者数 1500





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