コムパルソリイ・サイエンスNo.25




「リスクを考える」  
 私達の身の回りは危険に満ちています。交通事故、飛行機事故、ガス漏れ、漏電、建造物の落下、電車事故、土砂崩れ、通り魔、強盗などなど。これらの危険を考えると、どこに身を置いたらよいのか、考え込んでしまいます。

 危険の度合いをどう考えて生活したらよいのでしょう。
 ここで、許しうる危険率ということが問題となります。これは、一般に下記のようになると言われています。

個人的尺度において無視できる確率 10-6
地上的尺度において無視できる確率 10-15
宇宙的尺度において無視できる確率 10-50

 これによると、個人的尺度において無視できる確率は、10のマイナス6乗、つまり100万分の1です。これは、東京都内において、一日のうちに致命的な死亡事故にあう確率とほぼ一致しているそうです。世界の大都市においてもほぼ同じ確率だということです。でも、朝出るときに、今日は、交通事故にあうかなと心配する人はまずいないでしょう。100万分の1とはそのような確率なのです。だから、これは、「無視してよい危険の確率」あるいは「ゼロとみなすことのできる確率」と考えられます。

 スポーツでも致命的な事故が起こります。野球のデッドボールで死んだり、水泳で心臓麻痺を起こして死んだりすることがあります。でも、これらの確率は100万分の1以下だから、スポーツをすることが許されるのです。

 交通事故の場合、一日ではなく、1年間で考えると、ほぼ1億人の人口で、ほぼ1万人の死者なので、
108÷104=10
となり、1万分の1、俗に言う、万が一ということになります。ちなみに、肺がんで亡くなる方も1年間で約1万人です。タバコを吸うか車に乗るかということでしょうか。

 これを10年間で考えると、1000の1のレベルになってしまい、決して無視できる確率ではなくなってきます。実際、私の知人の中で、交通事故で亡くなった方がいらっしゃいます。ここに保険の必要性が登場してくる理由があります。社会は、このような危険を許容しているということも言えます。

 地上的尺度において無視できる確率は、地上ではありえないという確率です。この確率の例としては、コインを投げたとき、50回続けて表が出る確率です。千兆分の1です。現実的でないように思えますが、原子力の利用など、危険性を踏まえながら実施せざるを得ないことがあります。その際には、そこまでのリスクの確率を考えた運用が必要となってくるのです。鉱山などもそうです。

 ちょっと、話題を変えると、宝くじで高額の賞金をあてる確率も100万分の1です。当選確率を上げようと100枚買ったとします。そうすると、当選確率が1万分の1に上がります。例えれば、100m競争でハンディを1cmもらったことと同じことになります。これもリスクを考えることになるでしょうか。


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※「物理の樹」木下是雄/晶文社 1995年

※「数学トリック=スポーツ編」仲田紀夫/講談社 1993年

※「比較」統計学のすすめ」鈴木義一郎/講談社 1979年

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