以下、一連の頁は 2006 年秋頃から 2010 年頃までに書いたものです。 それ以後は、時々ミスタイプの修正や、追加をしていますが、元の文章の内容を変更していません。

新聞と嘘
ページの最終校正年月日 :
新聞と嘘、あるいは誤報道
-- 目次 --

チェックボックスをチェックすると詳細な目次を表示します。 (Netscape 6.0 以上、あるいは Internet Explorer 5.0 以上でないと正常に表示しません。)

目次の該当項目をクリックした際に、画面が流れてうまく該当箇所にジャンプできないことが あります。この場合は「戻る」ボタンをクリックして、再度目次の該当項目をクリックすると 目的の場所に正確にジャンプします。

  1. 前書き
  2. 冥王星とカイパーベルト
  3. 野口英世
  1. 戊辰戦争
  2. 明治維新 --- 誰が活躍したか ?
  3. 地震と耐震建築 --- 日本は先進国であったか ?
  4. 鉄の製造
  5. アヘン帝国 --- 汚れた歴史
  6. アヘン帝国の土壌
  7. 産業革命
  8. 硫黄島の戦い
  9. 鉄の歴史
  1. もう古くなった記事のこと
  2. 水俣病
  3. 最近のこと
1. 前書き

新聞にはよく嘘が書かれています。ここではそんなことをまとめてみることにしました。 私は英字新聞を購読しています。一つが IHT (International Herald Tribune) で もう一つが The Japan Times です。2 つも朝刊を購読しているのは妙に見えますが、 大昔は Asahi Evening News を購読しており, これが IHT に変化したため、妙なことに なっているわけです。The Japan Times と IHT はかなり毛色が違っていることがわかったので 以後、両方を購読しております。

日本語の新聞に関してはインターネットで読んだり、食堂で読んだりしており、 購読はしていません。英字紙の内容と比較して、随分変なことになっていることに 気がつくことがあります。ここではこのようなことを紹介したいと思います。

読売新聞  朝日新聞  毎日新聞  日経  産経

私はこれ以外に、インターネットで英語ニュースも見ており。その上での判断です。 (以下のページには Video へのリンクがあり、画面は大きくないですが、ちゃんと TV ニュースを 見ることができます。個々のニュースは数分ですが連続して見ることができ、とても 長時間楽しめます。日本の新聞社、テレビのホームページにある動画ニュースなど比較にならないほど立派で、 しかもタダです。)

なお、このページでは英語版の Wikipedia の絵をダウンロードして使用しています。 絵を使用している箇所には元の画像への直接のリンク、 あるいは画像が掲載されているページへのリンクがあります。 英語版の Wikipedia の絵は使用に若干の条件があります。 これに関してはリンクをたどって説明を読んでください。絵によって使用条件が違いますから注意してください。 使用条件によってはコピーライトに抵触します。

ある程度、本文を書いてから、前書きを少し付け加えることにしました。 特定の報道機関が嘘の報道をすれば、そのうち誰かが嘘に気が付きます。 しかし、「冥王星とカイパーベルト」で触れるように、日本の全ての報道機関が、異口同音に 嘘の報道をしており、また教科書にも嘘が述べられていました。従って、嘘が伝えられていることに 気が付いた日本人は恐らく皆無であったと思われます (但し、天文学関係の学者、研究者は嘘が伝えられていることを 知っていたはずです)。しかもこの場合には、冥王星が惑星から 陥落するまでの 1 年間もの間、日本の全ての報道機関が恣意的に嘘の報道をしているのです。 だから、これは何らかの意図があったものと思われます (はっきりした理由は私にはわかりません)。個々の新聞記者、あるいはテレビの記者が 何も知らずに報道したことはあったかもしれませんが、報道組織としては当然のことながら外電に 目を通していたはずで、組織としては嘘であることを承知の上で報道していたはずです。

色々書いていくうちに、これが今に始まったことではなく、戦前からあったことに気が付くことになりました。 「アヘン帝国 -- 汚れた歴史」でこのことに触れますが、前書きでも触れたほうがよいと考え、 かいつまんで整理しておくことにします。 まず「アヘン帝国」とは「日本」のことで、「英国」のことではありません。 戦前の「日本」は大量に麻薬を中国に持ち込みますが、 当時の日本の新聞、ラジオはどのように報道したであろうかと、 そのうち疑問になってきました。「日本を経由した麻薬」で述べますが、インターネット上で 当時の「報知新聞」の「社説」を発見してしまいました。 その当時も日本には「英字紙」があり、こちらの方では、正確な情報が伝えられていたようです。 しかし、「報知新聞の社説」は「英字紙」の記事を真っ向から否定する内容でした。 しかし冷静に読み取れば「英字紙」の方が信頼性があることがすぐにわかります。 つまり「報知新聞の社説」は「捏造」です。 当時の日本の全国紙、放送局 (NHK の前身である東京放送局も当然ここに含まれます) は 日本が国家として汚いことをしていても、「捏造報道」で帳尻を合わせていたのであろうと 断言できることになりました。 しかも日本の報道機関はすべて歩調を合わせて捏造したと考えて差し支えないようです。

麻薬のことに関しては「日本が麻薬で儲けている」という点を誰も認めたくなかったため、 まったく同じようにして「捏造報道」に徹したのでしょう。 戦局が不利になった場合には報道管制がしかれますが、それ以前に、 もともと日本の報道はジャーナリズムと呼べるような代物ででなかったと断言できることになりました。

ここまで書いて、しばらくの間「アヘン帝国」のことはそのままにしていたのですが、 時間が経過するにつれ、頭の中で整理ができてきました。英語版の Wikipedia ではアヘン戦争のことを

  1. 第一次アヘン戦争 (1839-1842), 中国と英国の間の戦争
  2. 第二次アヘン戦争 (1856-1860), 中国と英国、フランス、ロシア、米国の間の戦争 (但し、米国、ロシアは 軍隊を派遣しなかった)

と書いています。日本語の Wikipedia では第一次アヘン戦争を単にアヘン戦争と呼び、 第二次アヘン戦争をアロー戦争と呼んでいます。

さて第二次アヘン戦争からしばらくして、日清戦争 (1894-1895) の結果、下関条約が 締結されます。これには台湾などの領土に関することがありますが、 関連して締結された通商条約では日本はアヘン戦争の勝利国と同じ立場を得ることになりました。 これは英語版の Wikipedia に書かれていることです (Treaty of Shimonoseki - Wikipedia)。 つまり日本は中国に自由に麻薬を持ち込めるようになったのです。 少し考えてみればわかることですが、戦勝国の日本が中国と条約を結べば、 それは、それ以前の条約 -- アヘン戦争の勝利国と中国が結んだ条約 -- の 類似となるのに決まっています。これは当たり前です。

当然のことながら日清戦争以前から (ヨーロッパ各国の真似をして) 日本は中国、朝鮮、台湾にアヘンを 密輸していたはずですから  「日清戦争」を第三次アヘン戦争と呼ぶほうが 事態をより正しく理解できると思います。

中国の側から見れば、19 世紀から「アヘン戦争」が繰り返し、何度も勃発し、 第二次大戦が終了するまで続き、当初は対戦国がヨーロッパの国であったものが、 そのうち日本だけになってしまったと考える方が理解しやすいと思われます。日本史の教科書には日清戦争や日露戦争を 日本の現代化の中に位置づけていますが、当時の日本人が日本の現代化を達成できたと 考えた理由は「ヨーロッパの国々と同様に日本も中国をアヘンで食い物にできるようになった」 からなのです。このような観点は日本史の教科書にはでてきません、つまり日本史の教科書、あるいは 世界史の教科書はこの点で完全に嘘をついている、あるいは捏造をしているのです。

日中戦争に関しての日本史、世界史の教科書の捏造は巨大なものですが、それにもまして 産業革命に関しても捏造をしています。こちらの方もまさるとも劣らないくらいな巨大な嘘です。 本来産業革命には蒸気エンジンを使用して、色々なことが機械化されたから産業革命なのです。 19 世紀英国には蒸気エンジンを使用したパワーショベル (蒸気ショベル), ロードローラー (蒸気ローラー), 農業用のトラクター (蒸気トラクター) が登場し、しかもごくありきたりなものになっていたようです。 20 世紀初頭の日本にはおよそこのようなものはありませんでした。 にもかかわらず、20 世紀初頭に英国と同様に日本でも「産業革命」 が遂行されたとされています。従って、これも完全な捏造と呼ぶべきです。 また世界史の教科書における「英国の産業革命」の記述も、そもそもこの「日本史における」捏造を前提にした上での 捏造と思われます -- 嘘を隠蔽するために別の嘘が必要となる。 この嘘はどうやら、日中戦争がアヘン戦争の延長線上にあることを隠蔽するためのものではないかと 思われます。戦費を麻薬の儲けでまかない、しかも麻薬の儲けでインフラ整備をしたこと (当然ここには鴨緑江の水豊ダムが入るはずです) を隠すために、20 世紀初頭に 日本で産業革命が遂行されたとして、ごまかしているのでしょう。

日本語の産業革命という言葉には嘘が満ち満ちています。 第二次大戦中にタイとビルマを結ぶ泰緬鉄道 (いわゆる「死の鉄道 -- death railway」)が建設されますが、 このときはすべて手作業です。象も使ったようですが機械は使用していません。 熱帯のジャングルの中での作業ですからとても犠牲が多くなりました。 (これは最初から予測されたはずですから、この工事を強行した人たちは殺人犯です。) 有名な話ですが、産業革命という言葉を前提にすれば、これはありません。 (追加:産業革命以後には鉄道建設に蒸気ショベルを使用するのが普通で、 この時の連合軍の捕虜たちは 100 年以上昔の時代遅れの作業を強制された。) 熱帯における土木工事としては、これ以前に米国によるパナマ運河の建設があります。 このときには 102 台の蒸気ショベルが投入されています。 これが本当の産業革命です。もしも日本が 20 世紀初頭に産業革命を遂行していたのであれば、 泰緬鉄道の建設には機械力を投入できていたはずです。 あるいはそもそも産業革命が遂行されていたのであれば、断じて戦争をすることはなかった。 少なくとも日中戦争はしなかったはずです。

追加 : 戦前における日本の新聞記事の捏造に関して

戦前の報知新聞の捏造記事のことに関して触れましたが、神戸大学の 新聞記事文庫 は随分と充実してきたようで、これ以外にも随分捏造記事の存在を調べることができそうです。 検索にはかなり時間がかかりそうですが、とりあえず少々見つけました。

残存阿片焼棄  支那の阿片禁止と日本 (大阪毎日新聞 1919.1.7(大正8))

の記事では「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」の記事のことに触れています。 記事が長いので「モルヒネ」で検索しないと該当箇所が表示されません。記事の末尾に書かれていることです。 「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」の記事は 当時のニューヨーク・タイムズにも引用された記事で、私も本文中で引用しています。 何度も部分的に翻訳したので、結局全訳しました。次をご覧ください。これと大阪毎日新聞 (現在の毎日新聞) の 記事を比較してみてください。

1919 年、2 月 14 日のニューヨーク・タイムズの記事

ニューヨーク・タイムズに掲載されたのが 2 月 14 日ですから、大阪毎日新聞に掲載された 1 月 17 日より後です。 ともかくも、「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」の記事が随分反響を呼んだ記事であることがはっきりします。 書かれていることは「アヘン帝国」日本によりどのようにして、大量の麻薬、とりわけモルヒネが中国大陸に持ち込まれているかに 関することです。この「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」の記事に関して 大阪毎日新聞は何も根拠にせずに単に「荒唐無稽」と片付けています。 しかし新聞記者は当時、台湾にも朝鮮半島にも日本のモルヒネ工場があることは 重々承知しているはずで、そこで大量にモルヒネが生産されていることなど常識であったはずです。 また「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」を原文で読むことができるのであれば 「下関条約」等の本当の内容を理解することができたはずです。 従って、大阪毎日新聞は 1919 年 1 月 7 日に意図して捏造記事を掲載したと考えてよいと思われます。

例えば、次の記事を見れば日本本土でアヘンが栽培できたことがわかります。 しかも薬用だと思えるようなふざけた書き方をしている。 届け出をすれば「薬用アヘン」が栽培できるなどということは基本的に話がおかしい。狂っている。

阿片令愈施行  届ければ栽培が出来る (大阪朝日新聞 1919.2.20(大正8))

大量にアヘンやモルヒネが薬用として必要となることはなく、 この新聞記事はあからさまに日本政府の麻薬犯罪の手助けをしていることになります。

次のような記事もあり、この記事では日本がアヘン、モルヒネを中国に持ち込んでいることを 確かに認めています。

阿片モルヒネの密貿易  (其根本禁絶) (読売新聞 1921.2.24(大正10))

しかし「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」の記事を前提にすると、 モルヒネは郵送で中国に持ち込まれており、郵便局の協力なしでは不可能なのです (この協力の際に当然モルヒネの持ち込み料、つまり関税を支払っている)。 またアヘンに関しては中国の港における日本の海関の協力、あるいはアヘンの関税を支払って 中国にアヘンを持ち込んでいるのですから、読売新聞の記事は笑止千万なのです。 密貿易というよりは正規の手続きを踏んで、税関を通しているのです。 但し、その税関の管理をするのが日本人であるだけなのです。 この記事を書いた記者も重々事情に通じていたはずで、 アヘン、モルヒネの関税が日本政府の収入になっていることぐらいはすぐにもわかるはずです。 「密貿易」としていることこそが捏造記事なのです。 しかし、あまりにあからさまな嘘なので煮ても焼いても食えない。

以上から、戦前の報道機関は「アヘン帝国日本」のアヘン事業に関しての、 よりよき協力者であり、支持者であったと言うべきなのです。 無論ここには NHK の前身である東京放送局が含まれているはずです。

東京放送局の初代総裁は後藤新平で、 後藤新平は麻薬の利益でインフラ整備をした人ですから、多分東京放送局にも 麻薬の利益が投入されているはずです。 従って、 どのような放送がされたのかは推して知るべしです。

麻薬に関しての戦前の報道はあまりに人を食った捏造をしていると考えてよいと思います。 いずれにせよ、独立の報道機関としての組織は戦前の日本には存在しなかったと言ってよいと思います。

追加 : 日本は何故、日中戦争をしたのか ?

「アヘン帝国」のことや「産業革命」の章を読んでもらえれば、何ゆえ日本が中国と戦争をしたのかの 理由はわかると思うのですが、一応、ここでまとめておくことにします。

第二次大戦前の日本の産業構造

戦争をすれば国が疲弊します。本来必要である社会的なインフラなどに国の予算が流れずに、 その代わりに武器弾薬などに予算が流れますから、これは当然なことになります。 だから大規模な戦争をすれば、軍事産業は潤うことになりますが、社会全体としては 景気は悪くなります。これは常識的なことです。 ところが、奇妙なことに、日清戦争、日露戦争においては、日本の景気がよくなります。 だからありえないことが起きているのです。 この特殊な状況は次のように説明する以外にはありえません。

  1. 日本軍は戦地で麻薬で儲ける
  2. 武器弾薬の必要性から、獲得された資金が軍事産業に流れる
  3. これが他の産業に波及して、景気がよくなる

無論ある程度の国家予算が戦争遂行のために使用されたことは当然でしょうが、 それよりも麻薬の収入がはるかに大きいはずです。 膨大な戦費はほぼ麻薬の売り上げでまかなわれていたはずですから、 これは当然の結論です。

「日清戦争」、「日露戦争」で日本の景気がよくなるのは、麻薬の収入によっているわけで、 従って、産業構造はとても「いびつ」で「脆弱」なものであったことになります。

中国では誰が麻薬を購入したか ?

第二次大戦前の日本の農家は、現金収入があまりなかったことはよく知られていることだと思います。 その理由は、農家が農産物を出荷することが困難であったからです。 江戸時代の年貢は米でしたが、明治になってから税金は現金で支払わなければならなくなり、 このため、明治時代には、自作農が極端に減って小作農となってしまいます。 これは農産物を現金化することが困難であったことを如実に示す事実です。 従って、第二次大戦前の日本の農家は手持ちの現金はほとんどなかったのではないかと思われます。

ところが、第二次大戦前の中国の農民は、貧しいことには変わりはないようですが、 銀の形で貯蓄をしていました。日本はほとんど山岳地帯で、山道ばかりしかありませんが、 中国では恐らく、荷馬車が通れるような道が縦横にあったのではないかと思います。 少なくとも、農作物を現金化することが日本よりも容易であったと思われます。 なお中国南部には縦横に運河がありますから、農作物の輸送はとても簡単であったはずです。 だから、第二次大戦前の中国では農産物を現金化することが容易で、 従って、農民は貯蓄をすることができていた。

中国の農民が持っていた銀は、英国による「アヘン戦争」を誘発したものです。 日本では道路網の未整備から農産物の現金化が困難で、そのため 日本の農民は中国の農民のように貯蓄は持っていなかったであろうと思われます。 従って、ヨーロッパの国々が日本にアヘンを持ち込む危険性は随分少なかった であろうと思います。中国が狙われたのはその富によるのです。農民たちが個々に 持っている「お宝」はそれほど多くはなかったと思いますが、全体としては 巨万の富であったはずです。

注意
  1. 無論都市部でも麻薬は売れますが、大半が農村ですから、 そこがターゲットになってないと、売り上げは増えないことになります。
  2. 辛亥革命後は、貨幣は紙幣に変わったのではないかと思いますが、 第二次大戦前の中国の農民は銀を持っていたのです。 関東軍はこれをよく知っていた。 貯蓄をするときは銀の形の方が信頼できたのか、あるいは先祖伝来の貯蓄が 銀であったのかに関してはよく知りません。
  3. 江戸時代までの貴族、侍にしてみれば農民たちから絞るとることは正義であったわけですが、 明治以後は日本の農民たち (= 兵隊) の力を借りて、貴族、侍たち (= 当時の日本の支配者層) が 麻薬によってアジアの農民たちから絞るとることが正義となったのです。
経済の破綻

「満州国」ができるのは 1931 年で、これは 1929 年に起きた世界恐慌の 2 年後のことです。 日本が中国侵略をしたのは日本の経済が破綻したためです。 日本の経済はきわめて「いびつ」で「脆弱」であったため、 米国のように自力で世界恐慌の荒波を乗り切ることができなかったのです。

2008 年 9, 10 月に世界経済の破綻が目前に迫ったのかの感がありました。 これを見ていると、1929 年の世界恐慌がどのようなものであったのか、 感覚的に理解できることになりました。 世界の経済があっという間に枯渇していく状況はぞっとするようなことです。 経済的に進展している国の方が被害の度合いが少なく、 またこのような国々では国が大規模な資金を市場に投入することが でき、被害を少なく抑えることができることも見ることになりました。 経済的に発展していない国では随分大変なことになるようです。

1929 年の世界恐慌のときにどのようなことがおきたのでしょうか ? 日本にもまともな輸出品があり、これは「生糸」でした。 主に米国向けで、女性用のストッキングの原料です。 世界恐慌の結果米国の女性はストッキングをあまり買わなくなり、 その結果、「生糸」の輸出が半減します。 このあたりまでは、現在の経済的に未発展な国と同じことになります。

注意
  1. 産業革命の結果、米国の市民は比較的豊かとなり、多くの女性が絹のストッキングを 身に着けるようになり、日本から米国への輸出が増え、これが日本の表の経済を 支えてきました。日本の輸出品の主だったものはこの生糸の輸出だったのです。 これが世界恐慌で半減し、あとで復活することはありませんでした。 だから表の経済だけでは輸入できるものは半減したことになり、 日本はお陀仏になったのです。
  2. 日本経済に比べて、米国経済はうまく行ったようです。しかし、私はこの点に関して 歴史教科書を鵜呑みにしています。歴史教科書の指摘することは いわゆるニュー・ディール政策で、公共事業です。 これが本当に正しかったのかどうかは熟知していません。 しかしこの時期、米国が大変であったことに関してはある程度の認識を持っています。 世界恐慌は何とかクリアーしても、あとで世界大戦に日本が参戦したことにより、 米国は戦争に応じるために、巨額の債権を発行しなければなりませんでした。 これで米国が滅びるといわれた時があったのではないかと思います。 しかし、私としてはこの時期、日本がしていたことを前提にすれば、日本が先に滅びたことは望ましく その復興に期待することがより正しかったのではないかと思います。

歴史の教科書に書かれていることはここまでですが、 日本の場合には更に未曾有の破局がおきかけていたのです。 世界恐慌の結果、世界的に価格が暴落したものがあります。麻薬です。 景気が悪くなって麻薬中毒ですら麻薬を買えなくなったためです。 日本の経済は麻薬に依存していましたから、これで対処の方法がなくなることになります。 麻薬の売れ行きを増やすための経済政策などあるはずがない。 その結果、直接的には関東軍が「ひぼし」になりかかったのです。

しかし満州を支配してしまえば、より多くの農民を麻薬中毒にすることができます。 麻薬が蔓延していても、麻薬に手を出していない農民の方が多かったと思いますが、 直接の支配下において有無を言わせず中毒にしてしまえば、不足となった 収入源を補うことができたのです。 こうしなければ、関東軍は消滅の危険に直面したであろうことは火を見るよりも明らかです。

関東軍の目的としたものは中国の農民たちの「虎の子」だったのです。 これが日中戦争の目的でした。

注意
  1. 日本の領土が増えれば、世界恐慌のせいで国内で青息吐息であった企業が そこに進出をして多少息を吹き返すことはできたでしょう。 しかし、関東軍としては、運転資金がなくなればすぐにでも自分自身の存続の問題に直面することになります。 現地調達の宿命です。 だから関東軍としての直接の目的は中国の農民たちの「虎の子」に他なりません。 資金難に陥った暴力団のようなものです。日本史の教科書ではこの時期を「世界恐慌と軍国主義の台頭」 と言って表現していますが、これは正確な言い方ではありません。関東軍は一般の人を無差別に 麻薬中毒にしようとしたわけで、このような一般市民に対しての無差別な攻撃のことを現在では「テロ」 と呼びます。従って「世界恐慌とテロリズムの台頭」という言い方の方が当時の日本を適切に表現する 言葉です。この点に関しても日本史の教科書には嘘がある。
  2. 日中戦争が世界恐慌の結果であることを日本人の多くが認めているのではないかと思います。 その理由は 2008 年に起きた世界的な不況が始まった頃、欧米の政治家、あるいは英字紙の報道では随所で 1929 年の世界恐慌と比較をしていました。ところが日本の政治家や邦字紙の報道では 1929 年の 世界恐慌の時点との具体的比較をせず、むしろ無視をしていたのです。つまり、満州侵略、日中戦争が 世界恐慌の結果であることをちゃんとよく理解しているため、具体的な比較をすることが できなかったのです。まともな経済政策などせずに麻薬に頼ったことをよく知っているから、 経済的な比較ができないのです。
  3. 当時の中国の農民の持っていた「虎の子」の目的を書き忘れていました。 この「虎の子」は通常は断じて手につけてはいけない金なのです。 これは飢饉の時のみに手をつけることができる金なのです。 従って、正常な状態では農民から、この「虎の子」を絞るとることは断じて不可能で、 どうあっても完全に麻薬中毒にする必要があったのです。 しかし、農民たちの最後の「虎の子」まで搾り取ってしまえば、 また別の犠牲者を求める必要が出てきます。

    満州国の建国のために麻薬が必要であったと考える向きがありますが、 こう考えるよりは、麻薬の価格が暴落して、関東軍の収入が激減し、これを補うために、より大量の麻薬中毒を 作る必要性から満州国が建国されたと考える方が自然です。 つまり国を作るために麻薬の収入が必要であったと考えるよりは、 麻薬の収入を増やすために (あるいは麻薬の収入が落ち込んだため) 支配地を増やしたのです。 これを示唆する事実があります。満州国に投入された麻薬の売人は朝鮮人です。 つまり朝鮮半島では麻薬で絞るとることがじり貧となったため (当然これは世界恐慌が引き金となっています)、 満州国に新天地を求めたのです。 また、その後南京にも侵略をしますが、直後に大量に投入された麻薬の売人は満州国の 麻薬の売人なのです。 満州における麻薬の儲けが少なくなったため、麻薬の売人が移動したと考える方が自然です。 はっきりしている点は、大量に麻薬を投入しても、そのうち利益がじり貧と なり、その時点で新天地が必要なのです。麻薬によって骨の髄までしゃぶりとるようなことをすれば当然こうなります。 1937 年の 7 月 7 日の盧溝橋事件から日中戦争の幕が開きますが、 これは関東軍による大々的な麻薬テロの開始なのです。 従って「日中戦争の原因は満州における麻薬の儲けがじり貧となったため」であると考えて差し支えないと思われます。

  4. 日本語の Wikipedia ( 満州国の経済) には『総額26億円を投資する「満州産業開発5カ年計画」』のことが記載されていますが、 これの原資は麻薬です。また産業開発と称するものは軍事産業で、武器弾薬の製造に他なりません。 武器弾薬の製造は満州を支配し、中国への麻薬の浸透を図ることを目的とするものですから、 満州国は国というよりは「麻薬売り上げ機関」と考える方が適切です。 また満州国にあった肥料工場はモルヒネの原料を提供できたはずですから、 何から何まで麻薬尽くしであったことになり、満州国にとって良いことは何もなかったのです。 また満州国にあった工場、鉱山はそのすべてが廃液などを垂れ流しており、 その跡地は深刻な土壌汚染を被ることとなり、死の大地と化したようです。

世界恐慌の余波は第二次大戦まで続いているのです。関東軍は農民から絞る取る「虎の子」が 枯渇すれば、また新天地を目指して、そこで再び「虎の子」を搾り取ったのでしょう。

追加
序文に、「日本は何故、日中戦争をしたのか ?」を 付け加えている前後に、田母神航空幕僚長の懸賞論文の話が報道に載りました。 「日本は侵略戦争をしたわけではない」との内容のようで、 アパグループによる懸賞論文であったとのことです。 事情が不明でしたが、2008 年 11 月 20 日の Japan Times に記事が載り、かなり 事情がはっきりすることになりました。まとめると
  1. アパグループと安倍晋三は深いつながりがあり、 アパグループの推薦から、安倍晋三総理が田母神を航空幕僚長に抜擢したらしいこと
  2. 田母神はロジスティック部門などを歴任しただけで、 航空幕僚長に抜擢される理由がほとんどなく、 田母神の歴史観の理由から抜擢されたらしいということ
ちょっと半信半疑になりましたが、次の頁を見つけました。
アパグループ - Wikipedia

どうも、確実なようです。アパグループには耐震偽造問題も 関係しており、それにも安倍晋三が関連しているようです。 安倍閣僚は「靖国閣僚」で占められていたことも、Japan Times で 指摘しており、紛れもない事実のようです。しかし、耐震偽造問題まで関連しているとは....

もう少し、思い出したことがあるので付け加えます。この事件の直後に、どこかの邦字紙で小さな記事を 読んでおり、それによるとアパグループは自衛隊との契約で随分儲けているようです。 これを前提にすると、自衛隊は特定の業者に儲けさせ、その利益を特定の政治家に還元させるようなこと をしているとも考えられます。田母神はロジスティック部門の担当でしたから、これが可能な立場で あったはずです。あるいは自衛隊が組織としてこのようなことをしているのかもしれません。 歴史観の問題よりも、金による結びつきのほうが大きいのかもしれません。

どの程度満州国は麻薬に依存したか、あるいは犠牲者の数は ?

満州国の硬貨にはケシの花が描かれているそうで、 満州国の経済 (?) は基本的にアヘンに依存しているように思え、 最初は満州国の財政にどれほど麻薬の売り上げが占めていたのか調べようとしました。 今では正確な数値を覚えていないのですが、満州国の予算の 10 % 以内ぐらいであることが どこかのページで書かれていました。私が「アヘン帝国」で書いてあることを読めば、 これはおかしいと思うはずです。そんなに少ないはずがない。 「満州国におけるアヘンの専売制」のみを問題とすると、この間違いに陥り、 どこかおかしいが理由が不明な状況になります。 原因は極めて明白で、関東軍の収入は満州国の予算に含まれていないからです。 だから、「満州国におけるアヘンの専売制」は一方で存在しているが、関東軍は独自に麻薬を売っているはずなのです。 だから問題は「満州国の予算」+「関東軍の予算」の中に占める麻薬の売り上げがどれだけであるかを 調べないといけないのです。おそらくこのデータは存在していない。 従って、何らかの推論をせざるをえません。

そこで、これに近い状態の国 (?) を考えます。 日本は内モンゴルにも傀儡政権を作りますが、この場合には、関東軍は軍事的に深く関与していないと 思われ、内モンゴルの傀儡政権の予算に占める麻薬の売り上げあたりが参考値になります。 これは 20%~30% です。また本文中で「アヘンの専売制」に関連して触れた個所で、 オランダ領東インド (現在のインドネシア) における 1914 年の政府の総収入における アヘンの収入の割合は 10 % を少々超える程度であることが判明します。 ヨーロッパの植民地では陸軍を積極的に投入していません。 これは補給で困るためです。だからヨーロッパ人の植民地支配には海岸地帯の拠点地域のみを 支配することが多いはずで、従って、 内陸部まで多量の陸軍を展開した旧日本軍の方法はとっていないのです。 補給の困難さを関東軍は現地調達で克服しました。 つまり麻薬です。従って 「満州国の予算」+「関東軍の予算」に占める麻薬の売り上げの比率は、 オランダ領東インドの 10 % をはるかに超えていたはずで、内モンゴルの比率の 20 %~30 % 程度では ないでしょうか ? あるいはこれより多いかもしれません。

注意
別の面からの議論も補足します。非常に広い地域を継続的に軍事力だけで支配することが可能でしょうか ? しかも陸軍だけでこれが可能でしょうか ? このようなことに関して、随分以前にどこかで記事を何度も読んだ気がします。 結論は単純で、これは単に不可能なのです。一時的な支配は可能でしょうが、財政的な理由から不可能となります。 多量に陸軍を投入すれば、国家予算の何割かが軍事費として必要となり、それが継続するようなことがあれば 財政破綻するからです。 一つには多分、ベトナム戦争で泥沼状態になった時に、米国が (空軍の代わりに) 更に大量の陸軍を投入すれば勝機があるのでは ないかという議論に対する反論ではなかったかと思います。(無論英字紙に書いてあったことです。) あるいは、植民地時代のヨーロッパ諸国がしたことの解説であったのかもしれません。 従って、原理的に不可能なことを日本が満州国でしたことになります。 ゲリラが頻々と発生するはずですから、軍隊の規模も非常に大きくする必要があり、 財政的負担が計り知れないものとなるはずです。 だから軍事力で満州を支配下に置くためには 満州国の予算の何割かに相当する財政的基盤が必要となるはずなのです。 これが麻薬の売り上げで処理されたはずですから、その儲けは巨大なものであったことになるはずだ、と言いたいのです。

以上は直接の麻薬の売り上げです。しかし、更に問題があります。麻薬の売り上げがもたらす波及効果です。 例えば、関東軍は麻薬の売り上げで軍事物資を手に入れようとするはずです。 軍事工場ができていればこれにより、軍事工場は利益を手に入れることができ、法人税の形で満州国の 収入となるはずです。波及効果も含めて考えると税収は 2 倍にはなるはずですから、結局、 「満州国の予算」+「関東軍の予算」における広い意味の麻薬の儲けは 50 % を越えたと考えてよい と思われます。

以上のように膨大な儲けが麻薬によって提供されたはずなのです。 従って、その犠牲者の数はけたたましく多かったはずなのです。 私が書いた文章の中では、麻薬中毒の比率がはっきり書かれているのは、 南京の場合のみです。南京城が陥落して、直後に南京大虐殺が起きますが、その後数カ月には、 南京市民に占める麻薬中毒の数は全人口の 1/8 に達しました。これはまず間違いのない数値です。 最初はとても多いとは思いましたが、全員ではないと考えました。 しかし、これは間違っていたのです。関東軍が麻薬中毒にしようとしたのは家計を支えている人です。 彼らが現金を持っているからです。扶養家族を麻薬中毒にしても骨のずいまでしゃぶれないからです。 具体的には職場の給料が麻薬で支払われた時があったのです。南京は都会ですから、 多くは雇用者で職場を通じて麻薬中毒にされた。もしも 4 人家族であれば、家計を支えている人 全員を麻薬中毒にすれば全人口の 1/4 となります。子供の数が多く、年寄りも扶養家族に入っていれば、 1 家族当たり 8 人であっても不思議ではありません。ともかくも南京では、各家族の家計を支えた人 をほぼ全員を麻薬中毒にしたのです。(無論中国の支配者層はここには入っていない。)

では満州や朝鮮半島の場合はどうだったのでしょうか ? 上のような具体的な数値が登場しません。 ここには欧米系の人がいなかったからなのです。とりわけ、朝鮮半島に関しては 当時は欧米系の人がおらず、おそらくすべてが秘密になった。 少なくともインターネット上の英文の記事で確認できることはほとんどありません。 但し、満州国が建国された後で、何千人もの朝鮮の麻薬の売人が満州国に登場しますから、 朝鮮半島も麻薬漬けであったことがはっきりするまでです。 欧米系の人たちは、香港などの植民地がありますから、中国南部に住んでいた人もいると思います (宣教師を含む) が 中国北部の満州に関しては訪れることはあったにせよ、そこに住むことはなかったはずです。 南京の場合には欧米系の人たちの目の前で 事件が展開されたから広く知られることになったのですが、 満州国や朝鮮半島の場合にはこれがなかった。 だから詳しい目撃情報は残っていないのです。

よしんば残っているにせよ、色々隠蔽されている可能性があります。 例えば、日韓併合の後に朝鮮半島ではアヘンは禁止されています。こう聞けば、朝鮮半島には 麻薬中毒がなかったと思ってしまいそうですが、単にモルヒネが代わりとなっただけなのです。 どのような形で隠蔽されているか想像できませんが、関東軍が南京でしたことは、 それが最初であったはずがないのです。 しかし、満州は都会ではなく、住民は大半が農民です。 だから南京のように効率よく麻薬中毒を作れなかったかもしれません。 しかし、いずれにせよ各家族の家計を支える人を全員麻薬中毒にしようとしたのに他ならないはずなのです。 そうでなければ満州国における膨大な麻薬の収入がありえないためです。

満州国は一応アヘンの専売制をしいたわけで、恐らく台湾などと同じように、 登録さえすれば麻薬を購入できたのかもしれません。この登録者から麻薬中毒者の数が 判明するのかもしれませんが、台湾でも麻薬中毒の登録者は、登録していない中毒者と 同じくらいの人数であったそうです。だから、公式の麻薬中毒者の数は信頼できません。 それと、もう一つ問題があります。 専売制ですから、一応儲けは満州国政府の国庫に納まるはずですが、 こうではなかったはずです。関東軍も独自に資金源が必要で、これは満州国政府とは 独自に存在しなければなりません。つまり独自の麻薬の販売です。従って、これは満州国のアヘンの 専売制に矛盾しているように見えます。 (麻薬の儲けの調停をしたのがニキサンスケと思われます。 麻薬に関しての方針を決めたのは満州国政府ではありえないのです。 ニキサンスケに関しては本文参照のこと。) 満州国は傀儡政権ですから表面的なことでは何も判断できないのです。 では、どの程度の麻薬中毒者がいたのかですが、南京の場合には 1 割を超えていましたが、 これよりは少ないであろうと思われますが、1 割をそれほど下回ることはないと憶測します。 もしも、これよりかなり下回ることがあれば必ずや強制的に麻薬中毒を作ったはずだからです。 (関東軍の発想に焦点を合わせた憶測です。)

追加 : 日露戦争に関して

2009 年 12 月 9 日の Japan Times に日露戦争に関しての共同通信の記事が載りました。 恐らくインターネットで日本語の記事が読めるはずだと考えて、ヤフーで 検索したところ同じ記事が見つかりました。但し Japan Times の英文の記事の方が 長く書かれていました。

日本、ロシア主戦派の同盟案黙殺 日露戦争直前、新史料発見

このリンクはそのうち消えると思われますから、冒頭の部分を引用させてもらいます。

日露戦争開戦1カ月前、ロシア側の主戦派の一人と考えられていた 政治家が戦争を回避しようと日露同盟案を準備しているとの情報を得ながら、 日本政府が黙殺していたことを示す新史料を、和田春樹東大名誉教授が7日までに発見した。 日露戦争についてはこれまで、 作家司馬遼太郎氏が小説「坂の上の雲」で論じた「追いつめられた日本の防衛戦」とする見方も根強く、 日露戦争前史を見直す貴重な発見と言えそうだ。

Japan Times に載った英文の記事の方が少し長く色々解説が付いています。 但し、英文の記事は 1 点間違えています。 日本が 1910 年から 1945 年まで朝鮮を占領したとしているからです。 実際は、日露戦争の時には満州が戦場とはなりましたが、朝鮮半島は日本軍の通り道であり、 日露戦争が終わった後もこの軍隊は朝鮮から撤退しなかったのです。 (「アヘン帝国 -- 汚れた歴史」を参照)

注意
  1. 日露戦争の時に、日本軍が朝鮮半島を占領し、日露戦争後も撤退しなかった事実は 日本語の資料では探しにくい可能性があります。 これを想定していなかったので、最初は調べるのに随分大変でした。 一端、これに気が付くと、簡単に英文のページで検索できるようになりました。 なお、日本史の教科書には、日露戦争直後に日本が朝鮮を保護国化する事実が書かれているはずで、 これが日本軍が朝鮮半島から撤退しなかった事実を暗に示しています。
  2. 日韓併合のことは日本語のホームページで登場するのみと言ってよいと思います。 英語圏のページでは、「日露戦争の時に日本軍が朝鮮半島を占領し、日露戦争後も撤退しなかった」と書いてあるだけで、 日韓併合のことを書いてあるページはほとんどないと思います。 日本の軍隊の占領下で、日本が占領下の国との条約を結んだにせよ、 およそ条約といえるはずがない。そんなことを歴史的事実と称するのであれば、 これは歴史学者による歴史の捏造に他なりません。だから日本史の教科書もこの点で捏造している。 正しい認識は「日本の軍隊は日露戦争の開始時点で朝鮮半島の占領を開始し、太平洋戦争の終了時まで占領し続けた」です。
  3. 記事全文を読めばわかりますが、ロシア側の同盟案はロシアが満州を取り、 日本が朝鮮半島を取るものです。日本側としてはこんな和平案など論外だったようです。 戦争に駆り立てられたのではなく積極的に侵略した。

いずれにせよ、日露戦争の開始時点で、朝鮮半島は日本軍の支配下に置かれたのです。 もともと朝鮮半島の支配にクレームをつける可能性のあったのは中国とロシアでしたが、 中国は日清戦争で排除され、次いで日露戦争によりロシアが排除され、 日本は朝鮮半島を完全に支配したのです。 日韓併合は表面上の帳尻合わせなのです。 日本の朝鮮半島の支配は日露戦争に始まり、太平洋戦争の敗北で終了したのです。

以上の点を合わせて考えると、日清戦争、日露戦争は朝鮮を日本の支配下に置き、 ひいては満州を影響下におくための戦争であったことが とてもはっきりします。防衛戦であるはずがない。

英文の方の記事では司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」(および NHK ドラマ) のことにも触れ、 この本ではロシアが日本を戦争に駆り立てたと主張していると続けています。 素直に考えれば、日清戦争、日露戦争が日本の朝鮮支配、ひいては中国を侵略する意図から起きたことは明らかです。 朝鮮半島を麻薬漬けにすれば、随分儲かったでしょうから、この点からも 防衛の戦いなどではなかったことは明白なことです。

もう一点興味ある事実があります。共同通信は日本中の新聞社に配信しているはずです。 また各新聞はホームページで自社の新聞に掲載した記事を無料で読めるようにしています。 そのため、適当なキーワードで検索すれば、上の共同通信の記事が検索されるはずです。 10 社未満の新聞社がこれでヒットしました。見てみるとどれも地方紙です。 だから、結論として全国紙 (読売、朝日、毎日など) は共同通信の記事を握りつぶした。 また NHK のニュースでも取り上げられることがないことは明白だと思います。 これが公共放送の実態なのです。

追加:第二次世界大戦における死亡者数

次の図は World War II casualties - Wikipedia (第二次世界大戦における死亡者) にあるグラフを日本語化したものです。 赤が軍人、橙色が民間人、赤+橙色が全死亡者数 (単位は 100 万人)、 青色は 1939 年における人口数に対しての死者の比率 (%)。

中国でどういうことが起きていたのか非常にはっきりします。 民間人の死者が非常に多い。

目盛の数は死者の数を表しており、% の方の目盛りの単位が少し不明。 だから傾向のみを表していると思ってください (歴史家によっても評価が違いますが、 日本の場合には軍人の死亡者はおよそ 200 万人で、全死亡者の比率は全人口の 3.78 % です) なお、中国、インドネシア、仏領インドシナの場合は戦争によってもたらされた飢餓と病気による死者も含んでいるようです (最近は犠牲者の数をこのように計算するようです)。 なお、ビルマにおける死者には当然「死の鉄道」の建設に従事した人が含まれています。 (ビルマは英国領で下から仏領インドシナには属していない。)

この表からわかることは、自国が戦場になれば民間人の死亡者が極端に増えることが わかります。また、日本には核爆弾が投下されましたが、 それによる死者はほとんど問題にならないくらい少ないことがわかります。 中国、インドネシア、インドシナにおける民間人の死者は日本と比べると信じられないくらい 多いのです。

注意
  1. これを書いている最中にふと気が付いたことがあります。 「南京大虐殺」の時や「死の鉄道」の建設時には食糧不足だったのですが、 これには共通の原因があるのではないかと思ったためです。 当時の輸送網は現在の輸送網ほど発展していないので、 人口が増えればすぐにも食糧不足になるはずです。 日本軍は現地調達ですから、これではどこへ行っても、 その場所で食糧不足となるはずです。 (そのため、通常は軍隊の移動時には自前の食料を持参することは鉄則で、これは常識です。災害援助の場合も同様です。) ビルマ以外の東南アジアの国でこのようになった実例があるはずです。 調べてみると次のページがヒットしました。
    The Battle for Singapore
    日本軍によるシンガポール陥落の話です。 思った通りで、3 年半に及ぶ日本の支配下で食糧が極端に不足したようです。 これでは、戦闘の巻き添えを食わないにせよ、 東南アジアでは日本軍が存在すれば、必ず食糧難になることが必定です。 また、日本軍は東南アジアにおいて、欧米の各国よりは、はるかに麻薬に依存した支配体制を築いたのは 間違いないと思われます。食糧確保と連動しているためです。また「南京大虐殺」のことを思い出せば、 食料不足から民間人を虐殺したことがあっても少しも不思議ではない。
  2. もっと別の観点から議論する必要もあります。 そもそも昔の国は多くが食料に関して、自給自足でした。 つまり、供給可能な食料により、全人口が決まります。 このような国に、10 万人の軍隊が登場し、食糧を調達するとします。 そうすれば、10 万人分の食料が不足します。 極端な食料の配給制になるか、10 万人が餓死するかのいずれかです。 おそらくどちらも起きるでしょう。 シンガポールでは配給の食料では飢えをしのぐことができず、闇市ができ、食料の値段が暴騰します。 従って、これは貧しい人にとっては事実上の死刑を宣告されることになるのです。 東南アジアの至る所でこれが起きた。さらに付け加えれば、「死の鉄道」では日本兵も飢えに苦しみますが、 シンガポールでは地元の人が飢餓に苦しむ中で、日本兵はまともに食事を取ることができていた。 従って、日本軍は憎悪の対象であり、日本軍は治安維持に大いに力を注ぐ必要があった。
  3. 10 万人の食料が不足するようなことは、大規模な地震の時にはよくあることです。 つまり食料を持参していない 10 万人の軍隊が侵略すれば、 震災と同じようなことになる。 私の勤務先は非常に小さな国立大学です。 学内で数十人から数百人ぐらいの集会がある場合には、 恐らく弁当を持参することを注意しているはずです。 周囲に食堂やコンビニがほとんどないためです。 ずっと昔のセンター入試の時に、弁当を持参していない受験生がいたようで、 そのときはコンビニのサンドイッチやお弁当がすっかりなくなって戦争騒ぎのように なったことを覚えています。 こうなると、日本軍が侵略する時に、侵略地に食糧倉庫のようなものがあれば、 飢えをしのげるはずですが、なにもない場所に侵略したら食料は一切手に入らないはずです。 食糧倉庫がありそうなのは都会です。 田舎に食料はありそうに見えますが、収穫をすればすぐに出荷し、 自分たちに必要な食料を残すだけだと思います。もしもこのような箇所に出兵すれば どうなるのでしょうか ? 軍票で食糧を購入しようにも誰も売ってくれないはずです。 手元にあるのは自分たちが食べる食料だけだからです。結果は目に見えています。 食糧目当ての強盗殺人です。南京大虐殺では 30 万人が殺されます。 これは余剰の人口を殺害して食料を手に入れるためだと思われますが、 その進撃途上でも 50 万人を殺害しています。この場合には食糧を手に入れるための 強盗殺人と思われます。
  4. 「第二次世界大戦における死亡者数」を追加したのは 2010 年の夏に読売新聞で
    第二次大戦で米国が核爆弾を日本に投下したのは間違いで、オバマ大統領は日本に謝罪すべきではないか
    との記事を読んだことが直接のきっかけでした (上記の内容を前提とすれば読売新聞の記者はまともじゃない)。 2011 年の 4 月に再び読み返してみると、 そのとき、気が付かなかったことを思い出すことになりました。 「アヘン帝国 - 汚れた歴史」を書いた時は、 日本の敗戦に至るまでの日本政府による麻薬犯罪をできる限り調べることを目的としたのですが、 そのとき「南京大虐殺」のことも色々知るハメことになりましたが、これは当面棚上げにしたのです (的が絞れなくなりそうだったためです) 。 最後になって「南京大虐殺」のことも追加で書き、原因が食料不足によるとほぼ断言できると書きましたが、 その時は、すでに目を通していた別のページの内容を忘れていたのです。およそ次の内容です。
    日本軍が南京城を攻め落とした時に、南京市の高官が日本軍に「南京市では 30 万人の食料が不足している。 食料を援助してもらいたい」と懇願した。
    この結果起きたことは、日本軍による南京市民の大量虐殺でした。 懇願した南京市の高官は絶望的な事態に気が付いたはずなのです。自分が 30 万人分の食料が不足していることを しゃべらなければ、30 万人が殺されるようなことにはならなかったはずなのです。 日本軍を信用したことを深く後悔したと思います。(日本軍は信用してはならなかったのです。そして類似のことが 東南アジア全域で起きたはずなのです。) あとは推測ですが、この内容をマンチェスター・ガーディアンの新聞記者に情報提供したのです。 従って、日本軍によって差し押さえられた「30 万人殺戮の電信文」はそもそも 世界に訴えるマンチェスター・ガーディアンの記事だったのです。だから食糧不足が虐殺を生んだことは明らかなのです。

    追加:この新聞記者による回顧録のようなものもあり、かなり有名な本だと思います。 この本を読めば全てが書いてあるはずです。実際に何が起きたのかは余りに明らかで、議論の余地がありません。

  5. 太平洋戦争直後、日本は食糧不足に直面します。 この原因は、戦前の日本は現在の北朝鮮のように食糧増産をしようとせず、 戦争ばっかりしていたからです。中国大陸や東南アジアから日本人が帰国すると、 人口が増え、食糧が賄い切れなかったのです。 そう考えると、戦前の日本人は中国、東南アジアなどで食糧の搾取をすることにより、 食糧を確保できていたことになります。 著しい食糧不足は、戦前の日本にはなかったのですが、 これは他国に飢えを押し付けていたためです。これができなくなって、 第二次大戦直後に今度は日本人が飢えた。
追加

最近は第二次大戦中の日本の戦争犯罪のことを書いた日本語のページが随分増えており、 東南アジアでも日本軍による虐殺があったことが確実にわかることになりました。 こうなると、考えが少し進むことになります。「日本軍ははたして何も考えずに現地補給に徹しようとしたか?」、 「食糧が手に入りにくい場所があることは想定しなかったのか?」。 こうなることは当然すぐにも思いつくことです。 だから、これは最初から想定していたはずです。解決方法は人口を減らすための虐殺、 あるいは食糧目当ての強盗殺人しかないことはあらかじめわかっていたことです。 現地補給を前提にすれば必ずこうしなければならないことがあることは 目に見えています。しかし、これは司令官の一存でできることでしょうか? このように考えれば、あらかじめ了解されていたことが明白です。 しかも、麻薬政策に関しては日本政府の了解事項でしたから、 食糧不足の場合には『人口を減らすための虐殺、あるいは食糧目当ての強盗殺人』は日本国政府の了解事項 あるいは命令と考えるのが自然です。

この状況は次の点からも明らかです。「アヘン帝国」/「南京大虐殺」の中で触れていることですが、 日本軍が南京に進軍途上で 50 万人の民間人を虐殺する話が登場します。 これを当時の駐独大使である東郷茂徳が米国の駐独大使に豪語しているのですが、東郷茂徳が独断でこの話をするわけがありません。 日本国政府の指示でこの話を持ち出したのに相違ないのです。従って、日本国政府は日本軍による『食糧目当ての強盗殺人』を 十二分に理解しているのです。ではこれはいつ始まったことなのでしょうか? 恐らく日清戦争、日露戦争に始まっている。あるいは明治維新に始まっていると言う方が正解だと思います。 (大規模な戦争にならなくても小規模な小競り合いはいくらでもあったはずです。) 皆殺しにしてしまえば、ほとんど証拠が残らないので「食料の現地調達」が始まった時点でこれが登場していると考えるべきなのです。 そして何十回、あるいは何百回も虐殺が起きた。おそらく虐殺された人の累計を考えれば 南京大虐殺が -- 30 万人という数が -- 取るに足らない問題のように思われるはずです。(2011 年 9 月)

『食糧目当ての強盗殺人』が実際はもっと古くからあるのかもしれません。 あるいはそう思っている人がいた可能性があります。 子供の時に、読んだのか聞いたのかの記憶がないのですが、日本軍による中国、東南アジアへの侵略と、 日本武尊 (やまとたけるのみこと) の東征とを比較していたからで、この時も食糧は現地補給なのです。 だから、日本軍は神と同じことを繰り返しているわけで、 少なくとも日本が戦争に負けるまでは『食糧目当ての強盗殺人』は神のなせる業であって英雄なのです。 そして、この事実を重々承知している国会議員がいるはずです。これが靖国神社に参拝をする本当の理由だからです。 (2011 年 9 月、再度追加)

日本国政府は別の点から「食糧目当ての強盗殺人」をせざるを得なかった可能性があります。 戦前の日本は食料に関して自給自足でした。つまり食料の生産効率が極めて低く、 余剰の食料がなかったのです。この状況で軍隊を大きくし、軍事産業を育てようとします。 そうすると、食糧不足となることは目に見えています。 例えば農民を無理に兵士にしたり、軍事産業に従事させれば食糧を生産する人の数が不足します。 これが現在の北朝鮮で起きていることです。 こういう状況になれば、補給なしに戦地に兵士を送り出すことにより食糧不足が多少は改善されるはずです。 しかし、農業人口は減りますから、口減らしのために更に農民を兵士として戦地に送ります。 そうすると、またまた食料の供給が減ることになります。あとは破局になるまで続くだけ.... これは明治維新から始まっているのです。 食料増産のことを歯牙にもかけなかった明治維新は破局の始まりだったのです。 このような自己矛盾からの脱出はすべてをチャラにして食糧増産から始めないといけないのです。 これは敗戦があって始めて可能であったのです。 (少し明白となったので再度追加、2011 年 9 月)

再度付け加えます。戦前の日本は現在の北朝鮮と全く同じように極端な食糧不足に陥っていたことが明白になると、 いつこれが顕著になったのかと考えることになりました。おそらく日露戦争の時です。 このとき日本軍は朝鮮半島から撤退をしませんでした。最初は単に朝鮮半島の併合を目指したものだと 考えたのですが、このとき撤退はあり得なかったのです。日本に撤退をすれば、食糧不足となるため 軍隊を解散し、兵士は農業に復帰せざるをえないはずだからです。 産業国でもない日本が大きな陸軍を持つことができるようになったはずですから、 これは断じて選択肢には入らない。 もう一度、撤退せざるを得ない状況になります。世界恐慌の時です。このとき朝鮮半島に駐留する軍隊の 一部にせよ、撤退すれば、日本国内における食糧不足となるため、撤退した軍隊は解散をざるをえません。 従って選択肢は満州侵略しかなかったのです。 日本の陸軍は随分大きくなりますが、その食料はすべて外国で略奪した食料によって賄われているのです。 そして、この軍隊は絶対に日本に撤退させることはできないのです。撤退すれば日本国内で食糧不足となるからです。 つまり、当時の日本は現在の北朝鮮とおなじように極端に食糧不足なのですが、 他国の食料を強奪することによって、それが顕在化しなかっただけのことなのです。 日本の敗戦と同時に、アジア各国にいた日本軍は日本に戻らざるを得なくなりますが、 彼らはすぐにも自分たちの食料をまかなうために農業に復帰したのです。こうしなければならないのです。 従って戦前の日本は国内における極端な食料不足をアジア各国に押し付けることによって生計をたてていたのです。 そしてこれによる被害者が膨大な数になったのです。 (2011 年 9 月)

このような状況を前提にすれば、 米国が第二次大戦末期に日本に核爆弾を投下したことは当然正当化してしかるべきだと思います。 もしも、核爆弾を投下しなければ、犠牲者は中国、インドネシア、 インドシナで増え続けたことでしょうから、 この状況では核爆弾を投下しないことは人間性に対しての背信行為に他ならないと思われます。

追加:マンハッタンプロジェクト

どのようにして、米国は核爆弾を開発することになったのでしょうか ? 核爆弾の研究を手がけたのは、ドイツが一番最初で、 対抗上、英国も研究を手がけます。 米国も一応研究には着手しますが、あまり熱意を入れていませんでした。 これが変化したのは真珠湾攻撃 (1941 年 12 月) によっています。 核爆弾の開発として知られるマンハッタンプロジェクトは 1942 年 - 1946 年の間続きました。

もしも米国が戦争に参加すれば、太平洋戦線とヨーロッパ戦線のどちらにも参加しなければならなくなります。 これには膨大な戦費が必要となります。 日本は中国と太平洋戦線の 2 つの戦線を戦わなければなりませんが、 中国における戦争は現地調達という名の略奪ですから、 予算的な負担はほとんどありません。 太平洋戦線における戦費のみが問題となります。 日本政府はこれを十分に承知して真珠湾攻撃を敢行したのです。

昔、真珠湾攻撃をしたときに、直前に米国に対して「宣戦布告をした」と教わりましたが、 最近これが嘘であることに気が付きました。 電信が米国の日本大使館に送信されたのは真珠湾攻撃の直前かもしれませんが、 暗号化されているので解読することに時間がかかり、 実際に米国政府に手渡されたのは真珠湾攻撃が開始された後でした。 解読に時間がかかることはあらかじめすぐわかることで、 米国から日本への電信文の処理に関しても同様であったはずですから、 この時間差は意図したものと考えて差し支えがありません。 だから、真珠湾攻撃は意図的に「宣戦布告」をせずに実施したのです。

追加
  1. 「宣戦布告」の電信文が米軍により傍受されていても、解読するにはやはり時間がかかるため、 真珠湾攻撃を事前に察知することはいずれにせよ不可能であったことでしょう。
  2. 日本が米国を攻撃したのは経済制裁により、原油を手に入れることができなくなったからで、 これは日本による中国侵略が原因でした。 中国侵略の基本的な目的は「ヤクの利益」ですから、 アヘン帝国日本は「ヤクの利益堅持」のために米国を攻撃したことになり、 「ヤクの儲け」こそが「国益」だったのです。 「ヤクの儲け」こそが日本の経済をささえていたからです。

事実がどうであるにせよ、日本政府が真珠湾攻撃よりも前に宣戦布告をしていると 言い張れば、これは水掛け論になります。 いずれにせよ、これで米国は太平洋戦線とヨーロッパ戦線の両方で戦うことを 余儀なくされ、それまでは反戦一方の議会の全面的な協力が得られることになりました。 しかし米国にとって、これは非常に不利な戦いでした。 最も問題となるのが戦費です。 2 箇所で戦争をするのですから、通常の 2 倍必要となります。 そのため、なるべく早く戦争を終結しないといけなくなります。 だから、新型爆弾の製造計画を本格化したのです。 核爆弾が作られる原因を作ったのが日本の卑劣な真珠湾攻撃なのです。 極めて卑劣ですから、誰もが必死になったのでしょう。わずか数年にして核爆弾ができてしまいました。

基本的には戦費は国債でまかなうことになります。 次の表が、1931 年から 1946 年までの米国政府の 収入と支出です。単位は 10 億ドルです。 (この表は Series E bond - Wikipedia に掲載されているものです。)

収入支出赤字累積赤字
19396.6 9.4 2.9 48.2
19406.9 9.6 2.7 50.7
19419.2 14.04.8 57.5
194215.134.519.479.2
194325.178.953.8142.6
194447.894.046.2204.1
194550.295.245.0260.1
194643.561.718.2271.0

マンハッタンプロジェクトに必要であった予算は、当時の価格で 20 億ドル (今日の貨幣価値では 220 億ドル) であったそうです。 だから、1946 年の累積赤字の 1 割弱です。 1946 年の累積赤字は現在の貨幣価値では 11 倍すればよいようですから、 現在の貨幣価値ではほぼ 3000 億ドルとなり、 1 ドル 100 円とすれば日本円にして 30 兆円になります。 2006 年における日本の国債発行残高 671 兆円で、 そのときの日本の税収入は約 50 兆円だそうです (この内容は 日本国債 - Wikipedia による) 。 現在の日本政府の赤字の方がよりけたたましいのですが、 税収との比率を考えると当時の米国の比率の方が分が悪いです。

国債の信用不安が起きるとどうなるか、ということは最近のギリシャの報道 (2010 年) で知ることになりました。 だから、当時の米国は戦費の工面でタイトロープを渡っていたことになり、 なるべく早く戦争を終結する必要があった。 しかし、これは別に米国だけの事情でもなく東南アジアの国々にしても同様であったのです。 もしも、核爆弾を投下しなければ、戦争はずっと長期にわたったことは火を見るよりも明らかです。 米国にとっても都合が悪いし、他の国々にとっても事情は同様であったと考えるべきです。

核兵器の根絶という話もありますが、ある意味で楽観できる面があります。 核兵器を保持し続けると困る点は、何十年かに一度、必ず更新しなければなりません。 新規に作るよりも廃棄が問題となります。 だから余剰の核兵器はそのうちなくなります。 しかし、北朝鮮のように新規に核兵器を持つようなこともありますから、 恐らく完全な根絶は難しいと思います。

核兵器は何十年かに一度廃棄処分にしないといけなく、 必要経費の負担が膨大となりますが、これは毒ガスについても あてはまります。第二次大戦中に日本が中国で製造した毒ガスを 現在、日本が処理しなければならない羽目になっています。 中国における毒ガスは実地に、こっそりと使用したと考える方が自然ですから、 日本は第二次大戦中における非人道的な武器の使用に関して他国を攻める立場にはない。 もっとも、より多くの人を救うと言う点からは、 第二次大戦における米国の核爆弾の投下は人道的観点も持ち合わせている。

もう一点付け加えるべきです。 当時の日本の報道は 「100 人切り」を英雄扱いしていました。 日本人はこれに拍手喝さいしていたのです。 報道にあおられていた、あるいは洗脳されていたとは言え、 このような行為を英雄とみなす人たちは非あらずとは言えないと思います。 少なくとも、まったくの無実とは言えない。 しかし、このような状況にせよ、あくまでも原爆投下の責任を更に追及するのであれば、 罪を問うべきなのは当時の報道 (朝日、毎日、読売、NHK) に他なりません。米国大統領ではありません。 報道こそが、戦争をあおり、世論を誘導したのですから。

日本の報道は事あるごとに「東京空襲」のことをさも多大な被害が出た事件であるとしていますが、 「東京空襲」の犠牲者の数は中国、東南アジアの犠牲者の数と比べると、取るに足らないという事実を 日本の報道は何も述べていはいない。つまり現在でも洗脳報道は継続しているのです。

追加:南京大虐殺の犠牲者数が 30 万人と考えてよい根拠

1週間ほど前に、河村名古屋市長の発言があり、更には石原東京都知事の発言があり、 どれも南京大虐殺がなかったものとしていました。 更には今日 (2012 年 3 月 1 日)、毎日新聞 (インターネット版) がアホな記事を載せていました。 このページは 2010 年頃に追加するのをやめていたのですが、もう一度追加することにします。

犠牲者の数が何故 30 万人前後で、それを下回ることがないであろうという点は、 事実を列挙して議論することは徒労となります。 反論する人は事実を認めないためです。ここではそのようなことを使用せずに 単に次の点から議論します。

  1. 日本軍は北京から南京まで進撃するが、食糧を持参していなかった。
  2. 南京には城壁があり、その中には常時二十数万人の人が生活しており、 これが食料を確保できる上限の数である。

日本軍が北京から南京まで進撃する時、真っ先に何が起きるか ? 世界の紛争国を見ていると常識的にわかることは、これにより大量の難民が出る。 北京から南京までの距離が 1000 km 程度なので、難民の規模は数百万人程度のものとなる。(現代人の常識!) 難民はどこへ逃げるか ? 一番簡単なのは南京城に逃げ込むことです。 しかし、入りきれない。従って逃げ込めることが可能な人のみが逃げ込んだ。 逃げ込んだ人たちにしてみればこれは実に幸運なことであった。 逃げ込める可能性があるのは南京城内に親類などがいる人たちです。 これで一家族で住んでいた場所に二家族以上住むことになる。 短期間であればこれでも可能で、三十万人近くの人が逃げ込んだと考えてよい。 逃げ込める上限の数の人が逃げ込んだ。

南京城を攻め落とした日本軍は平和的に食糧確保ができなかったはずですから、何かをした。 食糧目当ての強盗殺人しかないことは目に見えています。 30 万人殺すことが不可能であるかも知れないという議論があるようで、 最初はこの議論に振り回されていましたが、そのうち簡単に殺せることに 気が付きました。小学校や中学校の校庭には千人ぐらいが集まることができます。 つまり、少し広い広場に千人ぐらいの人間を集めることは極めて容易です。 この広場は周りが壁で囲まれて逃げ道のないものでないといけません。 ここで重機関銃を掃射すれば簡単に全員を殺せます。(これは大量虐殺の普通の方法で、現在でもこの方法が使用される。) 重機関銃の弾丸は口径が大きいので簡単に人間の体を貫通し、人が密集していれば、 1 発で数十名は簡単に殺せるはずです。口径が大きな弾丸が人間の体を貫通すると、 弾丸が入る場所と出る場所が爆発したような具合になり、体組織がぐちゃぐちゃになります。 こうなると臓器に損傷がなくても確実に出血死です。だから数分間重機関銃を掃射して、 あとほったらかしにすれば、千名程度が簡単に死に絶えます。

だから重機関銃があれば何週間もかけて、三十万人ぐらいの民間人を殺すことは造作もないことです。 どういう名目で、千名程度を広場に集めたのか ? これは決まっています。『食糧を配布するから、 家族全員で広場に集まれ』とでもすれば十分です。これによりある地区の住民を皆殺しにしてから、 無人の家の食料を強奪した。 余剰の人口がなくなるまで、これを続けた。 これをするために日本軍は犠牲者の数を一々数えたか ? そんなことをするわけがない。 暴騰していた南京城の食料の価格がもとの値段に戻るまで殺し続けた。 食料の価格は難民のせいで、高騰しきっていたはずですから、これが元の値段に戻るためには、 人口が元の人口を下回ることがないといけないし、余剰の人間に日本軍も入る。 食料の価格が下がれば、あとは住民を麻薬漬けにして、食糧確保を平和裏に行うことができ、 日本軍としては、これでハッピーエンドであった。

余剰の人口がそれほど多くなければ、別のオプションがあります。 日本軍は必要な食料を確保して、残りを配給にする。これはシンガポールで取った手段です。 シンガポールの場合は実際は、配給が非常に少なく、闇市ができたそうですが、 それでも形だけでも配給にすることができた。 南京の場合には余剰人口が多すぎ、型式的にも配給にすることができなかった。 この点から考えても、常時の人口の倍をはるかに超える人口がいた。

以上から、ほとんど予備知識なしに、あるいは物的証拠がなしでも、三十万人殺しがあったことが確実となります。 つまり陪審員による裁判では確実に司令官が有罪となる。あるいは、これは日本政府の了解事項であったはずですから、 これだけでも、天皇は死刑に値する。

東京裁判のことはよく引き合いに出されていますが、 この裁判は戦争犯罪を裁く法廷としては随分寛容に処理され、 しかも非常に速く結果を出してしまっています。 これは、ソビエトの理由からです。 (ソビエト以外の) 連合国は『毒 (戦争犯罪者) を以て毒 (ソビエト) を制した』のです。

明治維新の時に日本は英国やフランスの援助を受けています (軍事教練など)。 これはロシアの南下を阻止することが目的で、 第二次大戦後もそのような立場に変化がなかったことになり、 日本における戦争犯罪者を完全に裁いたわけではなく、まったくその逆なのです。 型式的な処分があったまで....。

第二次大戦後、日本において「国旗」と「国歌」を変更する話が登場しています。 これは当然「汚れた歴史」から解放されたかったからです。(どれほど薄汚いかに関しては私もよく知ってはいませんでしたが.. ) しかし、無論反対する人の方がいたし、こちらの方が勢力があった。 理由は明白で、東京裁判が極めていい加減に、形式的に処理したたため『毒 (戦争犯罪者)』 が居残り続けたためです。もしも仮にまともな「戦争裁判」がなされていれば、 『毒 (戦争犯罪者)』を一掃できたでしょうが、連合国にとってはソビエトの『毒』の 方がもっと重要なことであった。 「戦争裁判」は通常随分長期間になるのが普通ですが、東京裁判だけはすぐに終わった。 必然的な理由があったのです。

追加:南京大虐殺の時点で南京城に余剰の人口がいたとするもう一つの根拠

南京城は密閉されていますから、新規に家屋を作ることができなかったはずです。 従って、ここで生まれた人の多くは成長した後は城の外に出なければならなかったはずです。 つまり、城外に住んでいるが、実家が南京城にある人が多かったはずです。 中国は日本と類似の生活習慣があり、盆や正月の時には実家に帰る習慣があると思います。 従って、日本軍の進撃によって、南京城に逃げ込んだのは、このような人たちがまず考えられます。 南京城には食糧の供給で上限があるはずですが、年に 2 度の短い期間であれば、 食糧不足の危険もあまりないはずです。だから南京城は盆や正月の時と同じようなことになった。 しかし短期間であれば問題がないことも長期になれば重要な問題となったはずなのです。

これを付け加える理由は南京城がそれほど簡単に出入りできたわけではないと思われるからです。 それは、南京城だけは日本軍によって陥落するまでは、麻薬中毒がいなかったからです。 従って、麻薬の売人は南京城に自由に出入りできなかった。だから、特別な人のみが出入りを許されていた。 人が大勢ここに集まる典型的な実例が盆と正月のはずで、 この時には例えば南京で生まれたことがわかれば入城を許可されるというようなことがない限り、 古い習慣との両立があり得ないためです。 盆と正月の時には家族がどれだけ増えていたのか想像ができませんか ? この点からも南京城が陥落した時に、城内には通常の人口の倍以上がいたと、 自然に断言できないでしょうか ?

今日、虐殺があった場合に犠牲者を数えることができるのはまれだと思われます。 このような場合には統計学を使用するのが普通です。サンプルから全量を推測するわけですが、 これは非常に正確で、現代の我々の生活では至る所で活躍しています。 虐殺の犠牲者の数とは違いますが、選挙速報では誰も疑問に思っていないはずです。 当選確実となれば、間違いはありません。しかし、南京城の場合には出入り口には検問があったことが 確実で、実際の人口を把握していた可能性の方が大きいです。 だからいずれにしたって、殺害された犠牲者の数は容易に決定できるはずです。 この数値を決定することは不可能であると主張する歴史学者は統計学も否定していることになります。

追加:南京城における食料補給に関して上限があることの根拠

南京城の食料は最初は荷車のようなもので城内に持ち込んでいたと考えたのですが、 これは水運によっていることに気が付きました。港があるからです。 しかし、これは十分ではなかった。燃料が枯渇していますから、エンジン付きの船は使用できません。 従って、帆船によって城内の補給をまかなった。南京城が建設された時は帆船による補給を前提にして 都市設計がされているはずです。 エンジン付きの船舶を使用すれば、かなり補給が増大することが確実ですが、 帆船しか使用できない以上、南京城がデザインされた時以上の補給能力がない。 従ってデザイン時における人口よりも多くの人口を長期間維持することは不可能なはずです。 もしも仮に、東京の食料の補給を帆船で賄わなければならなくなれば、東京の人口は江戸の人口まで 激減せざるを得ません。

食糧以前に燃料が枯渇していたことの根拠には戦車が登場しないことがあります。 北京から南京までの距離が 1000km 程度で、もしも戦車が使用できたのであれば、 進撃はずっと速かったはずです。日本軍の戦車は対人兵器でしかありませんが、 戦車を使用できたのであれば、北京から南京までの進撃に数ヵ月もかかるはずがない。 当然、中華民国政府も戦車を保有していたと考えるべきで、 こちらも戦車を使用してはいない。だから日本に対しての欧米による原油の輸出制限が実施される以前から、 中国においては燃料が枯渇していた。 従って、日本に対しての原油の全面的な輸出制限が実施されるはるかに以前から、 部分的な輸出制限が存在していたのに相違ないのです。 これはイランからの原油の輸入制限と同じようなものです。

追加:中国や東南アジアにおける犠牲者はどのようにして死亡したか ?

第二次世界大戦における民間人の死亡者数は「追加:第二次世界大戦における死亡者数」から 随分多いことがわかり、最初はどのようにして死亡したのか原因がわかりませんでした。 グラフの 1 目盛りが 200 万人ですから、中国では 1600 万人の民間人の犠牲者があり、 インドネシアでは 400 万人の民間人の犠牲者があります。 日本が第二次世界大戦に参戦するのが 1941 年 12 月の真珠湾攻撃ですが、 日中戦争は 1937 年の 12 月から開始しています。日本が無条件降伏をするのが 1945 年ですから、 日本において、日中戦争は太平洋戦争のおよそ 2 倍の期間があり、これから判断をすると、 日中戦争における犠牲者数は太平洋戦争における犠牲者の 2 倍と考えて差し支えないはずです。 つまり日中戦争における中国の民間人の犠牲者は 3200 万人程度と考えてよいはずです。 このような大量の犠牲者はどのようにして生じたのでしょうか ?

日中戦争だけのことを問題にすると原因が分からなくなりますが、 もう少し一般的に考えればこれは明らかです。現代では世界で紛争が勃発した時、 国連では戦争自身のことよりも 難民のことが問題とされます。犠牲が起きるのは難民たちが餓死することによっているからです。 従って、国連による食糧援助がすぐにも開始され、 膨大なロジスティクスが起動を開始します。 10 万人の水と食料の補給は震災の場合に登場しますが、 これだけでも信じられないような努力が必要です。 しかし難民の場合には数百万人規模となり、水と食龍の補給には 気が遠くなるくらいの巨大なロジスティクス・マシンが必要となります。 これは常識で誰もが知っていることです。 この常識を日中戦争に当てはめれば、おのずと事態が明らかとなります。

日本軍が北京から南京までの 1000 km を進撃する際には、 数百万人ぐらいの難民が生じたことは間違いない。 これは現代の常識です。 ましてや、食糧を全く保持していない日本軍は、 食糧目当ての強盗殺人しかしないでしょうから、 人々が着の身着のままで逃亡したはずです。 この難民はどうなるでしょうか ? 助けたくてもどうにもなりません。 規模が大きすぎるからです。従って、大半が餓死をした。 国際的支援がなければ、必ずこのようになる。これも現代の常識です。 南京大虐殺だけのことを問題とする傾向しかありませんが、 北京から南京までの進撃により、難民が生じ、この大半が犠牲となったのであれば、 犠牲者の数は数百万人となります。

紛争による犠牲者の内訳でもっとも多いのが難民が餓死することによっていることと、 そして太平洋戦争が始まる前で、もっとも戦闘が激しかったのが、 北京から南京への進撃であることを考えれば、 この時点で大量の難民が生じ、そして大半が餓死をしたと考えるのが 現代における最も普通の考え方です。

食料を持参していない日本軍による食糧目当ての強盗殺人はおそらくほとんど目につかなかった。 街道沿いには餓死者の遺体が累々としていたでしょうから、 死体が目に入るのが普通の世界となっていたはずです。 「日本軍は勇猛果敢だよ」などという台詞は冗談にもなりゃしない。